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現実はいつもニュートラル

思うに任せない状況に陥ったとき、「こんなはずじゃなかった」と嘆き、悲しみ、恨み、妬み、怒りといった感情や、後悔・自責の念を抱き、自問自答して思考の堂々巡りを始め、ままならない人生に失望・落胆し、色んなことを諦めてしまうこともあるでしょう。物事が思い通りにいかないとき、流れに逆らうのではなく、それに乗っていくことでより自分に合った方向に導かれることもあります。ひとつの対処法として、自分が持っている価値観を見直し、起きている現実の見方を変えてみましょう。


物事の善し悪しを判断するのは自分の価値観


物事や状況を評価・判断するツールとして、人は「良い/悪い」「肯定的/否定的」「正しい/間違い」「好ましい/疎ましい」といった価値観を使います。幼少期から成長過程において、家庭や教育機関などで直接的に教え込まれたもの、間接的に人の言動を見て習ったものなど、周囲との関わりという体験を通して培ってきたものが多いでしょう。宗教観や道徳観が強い環境であれば、善悪の判断基準として使われる価値観は強くプログラミングされる傾向にあります。

スピリチュアル的には、今世で得た価値観のほかに家系的に受け継がれたもの、過去世から引き継がれたもの、魂レベルで刻まれているものもあると考えます。いずれにしても、一個人の全体の意識の88%を占める潜在意識の中に価値観が貯蔵されているため、自分がどのようなものを持っているかをすべて把握することは難しいでしょう。そして人は無意識にその価値観に沿った思考をし、それが行動に結びついているのです。


すり込まれた価値観で見る断片的な現実


価値観は、この社会、文化、国、世界において集団の中で生きるうえで必要な判断基準となるものもあります。しかし、どれも人間が作り出したものに過ぎません。善と悪、その間に明確な線引きをすることすら本来は難しいかもしれないのに、これが正でこれが邪と当てはめていくことで物の見方が偏ったりするなどのデメリットがあります。

さらに、今自分が持っている価値観がそもそも本来の自分のものではないとしたら、それがあるゆえに自分の思考や行動に制限がかかり窮屈な思いをしている可能性もあります。潜在意識を探らない限り、後付けされた価値観と本来の自分が持っている価値観とのギャップに気がつくのは難しいかもしれませんが、強くなりすぎた善悪の線引きを緩めることを意識することで無意識の領域に自ら働きかけ、本来の自分の価値観に近づいていくことができるかもしれません。



物事には善も悪もなく、ただひとつの現実があるだけ

”There is nothing good or bad, but thinking makes it so.”

William Shakespeare, Hamlet, Act II, sc. 2


シェイクスピアの戯曲「ハムレット」に『この世界には良いも悪いもない、そう考えるからそうなるだけ』という言葉があります。考え方次第で良くも悪くもなるということですね。

人は、理不尽なことをされたとき、逆境に置かれたとき、悩み抜いて物事の原因や真意を探ろうとすることがありますが、その努力をしても理解できるのは表面的なことにすぎません。その判断をするための自分の価値観は結局限られた見方でしかなく、相対的なものだからです。つまり、自分にとって「悪い」状況は、見方を変えれば誰かにとって「良い」状況のこともあるということです。であるならば、これは「良い出来事」「悪い出来事」と決めつけるのをやめて、現実をあるがまま受け入れてみるほうがいいのかもしれません。実際にそのほうが、自分の見た断片的な現実よりも、善悪の概念を超えたはるかに壮大で総体的な現実が見えてきます。


宇宙の秩序=総体的な現実

「好雪片々、別所に落ちず」

「舞い落ちる雪のひとひらひとひらは、落ちるべきところに落ちている」という禅の言葉です。

これをエックハルト・トール氏は、著書『ニュー・アース』の中でこのように説明しています。

「人生でも世界でも同じだが、一見偶然のような、それどころか混沌としたわけのわからない出来事の連なりの奧には、より高い秩序や目的が隠されている。」

そして「私たちはいくら考えても、このより高い秩序を理解することはできない」と言います。


どんなに小さな出来事も、すべては無限の因果関係のなかで、思いも及ばない方法で関わっているため、まったく偶然の出来事はないという、それが宇宙(コスモス)の秩序です。


たとえるなら、私たちは砂漠の中の一粒の砂であり、それが砂漠全体の調和を保っているということです。



宇宙の秩序として、ひとつの例を挙げてみましょう。その年に生まれた赤ちゃんの数を合計して男女別に見たとき、比率が常に一定になることがわかっています。

国立社会保障・人口問題研究所の人口統計資料集に掲載されている日本のデータを見てみましょう。下記の表の出生性比の部分は、女の子を100としたときの男の子の数を表していますが、1873年から2018年にかけて105前後の数値となっています。出生数はその年によって大きく変動しているのに、性比が一定に保たれているって、不思議だと思いませんか?


性別死亡数で比べてみても、性比は110前後となっています。数値が異なるものの、この性比が一定に保たれる現象は日本だけではなく世界全体にみられます。ご興味のある方は国連の統計データ(PDF)をご覧ください。この規則性を発見したのが、ドイツの統計学者ヨハン・ペーター・ジュースミルヒ。彼はこの説明できない現象を「神の秩序」と名付けたそうです。誰もがこの「神の秩序」の一部なんですね。



高い秩序の中の生まれ変わり


何らかの見えない秩序が働いていることはわかったとして、現実には受け入れがたい出来事も起こります。事件・事故、病気、障害、老齢、死、喪失など、人に苦しみや哀しみを与える出来事はどうしても否定的に捉えてしまいがちです。スピリチュアル的な話をすると、魂は様々なことを経験するために地球にやってきます。一度の人生では経験し尽くせないので、生まれ変わりを何度も何度も繰り返します。その中でずっと人間だった人はいないでしょうし、ずっと同じ国、人種、性別、社会的立場だった人もないでしょう。

それぞれの魂がこの世に生まれ変わったとき、「過去世で経験しなかったことを経験して学びたい」など、何らかのテーマやミッションを携えてくると考えてみます。そうするとそれらを達成するための出来事が自然と用意されていて、人生を振り返ったときに辻褄が合うこともあるかもしれません。 


たとえば、前世で傷を負ったまま人生を終えてしまったから今世では癒してもらうことをテーマのひとつとして病気や障害を持って生まれてくる魂もあるでしょう。前世で最高齢で大家族に囲まれて亡くなったからと、若くして孤独で死ぬとどんな感じなんだろうと経験しにくる魂もいるのかもしれません。ある日突然亡くなった方の場合、ミッションを達成したからもうこの辺で早く生まれ変わってまた次の人生を経験したいと魂がそう意図したのかもしれません。


誰かを失うことが周囲の人にとって必要な学びとなることもあります。命を奪われた人の家族は、今世で人を赦すことを学ぶのが最大のミッションの場合もあるのかもしれません。その「憎むべき」加害者は、過去世では被害者の立場だった可能性もあります。

そういう意味では、今世だけで見ると人が恵まれているか否かに差はありますが、過去世すべて合わせてひとつひとつの魂を比べると、経験する苦楽にそれほど差はないのではと思えてきます。人生は、ひとつひとつの魂がそれぞれ持つテーマやミッションを遂行する旅だと考えると、たとえば早世したからといって道半ばだったとは限らず、それは地球上の価値観でいうところの可哀想な魂でも不幸な魂でもありません。そして「高い秩序」が働いて各人のテーマやミッションを達成するよう促す出来事がそれぞれに起きているとしたら、何かが自分の思い通りにならなかったとしても、その流れに身を委ねてみることが時として最善策ということも十分にあり得そうです。



委ねることは放棄することではない


「高い秩序」に委ねるからといって、結局人は無力だから何もせずに放棄するとか、行き場のない気持ちを抑えて辛抱するということではありません。自分が信じる方向に向けて力を注ぎ、それでもどうにもならなくて「あぁ、なんかこれは自分がどうにかして対応できる域を超えているな」と感じたら、それはおそらくそのとおりなので、そのときは風に逆らうのではなく、変わった風向きに合わせて航海を続けてみましょう、ということです。

否定的に思える出来事は誰の人生にも起こり得ますが、そういったときに「ああするべきだった」「こうしておくべきだった」とひどい後悔や自責の念に駆られたり、原因や責任を追及して疲弊するよりは、あれこれ巡る思考をストップしてみましょう。そして「起こるべくして起こった」「縁がなかった」「こっちの道じゃないよと教えてくれている」「変わるべきときなのかも」「人生にはそんなこともあるよね」と流れに身を任せ、自分が次にやりたいことやできることが見つかるまで少し待ってみる、それが宇宙の高い秩序に意識的に参画するということなのかもしれません。否定的に思える出来事も、そこから学びを得ることができれば転機となりますし、結局は魂の成長につながり肯定的な出来事になります。


価値観をリセットしよう


そうはいっても自分のなかでどうしてもブレーキをかけているところがあって、前に進めたいのに進めない、変わりたいのに変われないというときは、一度ご自身が持っている価値観をリセットする必要があるのかもしれません。現実は常にニュートラルなのに自分は偏った見方をしている、たとえば『○○することは悪いこと』という価値観にとらわれているように感じるなら、その価値観は本来のあなたが持っているものではない可能性があります。

そのことに気がつくだけで手放せる場合もありますが、過去世や家系で受け継いできた価値観など、原因が根深いことも。そんなときはヒーラーの力を借りてリセットしましょう。本来の自分が持つ価値観に戻って新たに見えてくる世界は制限や制約もなく、もっと自由でフラットかもしれません。




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