animiscentは「本来の自分」とつながることが大切と考えます。本来の自分が今に在ることさえできれば、問題のほとんどは消え去り平穏に生きることができるからです。現代の社会では、自分は何者であるかをあらゆる観念で定義することができるため、それらを通して自分のアイデンティティを見出すことのほうが多いかもしれません。一度ぼやけてしまった「本来の自分」の輪郭をどうやってまた浮き上がらせることができるのか。ちょっと意識を変えて自分を見つめてみましょう。
あなたは何者ですか?
STEP 1.
自分が何者であるか、どのように表現しますか?自分で自分をどう見ているかを知ることで、本来の自分との距離感がわかることもあります。正解・不正解はありません。気軽に自分探しという感覚で、6つ以上挙げてみましょう。
STEP 2.
どんなことを挙げたのか見てみましょう。
名前、年齢、性別、職業、性格、容姿、持病、趣味、嗜好、知識、特技、能力、体力、所有物、将来の夢、過去の出来事、家族構成、配偶者の有無、家庭での役割、出身地、出身校、国籍、人種、宗教、政治的党派、思想、などが考えられるでしょうか。
挙げたもののうち、どの自分が最も自分らしいと思いますか?
STEP 3.
どれを失ったときに、自分が自分でなくなるような気がしますか?
創り出された自己イメージ
STEP 2と3で出た答えは、自分がその対象を通じて自分を見出そうとする手段となっている可能性があり、STEP 3で出た答えは、自分とその対象が同一化されている可能性があります。その対象によって得る自己イメージが、自分のアイデンティティの一部になっているということです。
人は、周囲の人や社会に自分がどう見られるかによって、自分をどう見るかを決めていくといいます。そして自分はこうだと定義していく。自分の中で「こういう人間になりたい」という願望が意識・無意識かかわらずあったとして、そこに近づくために「これを得ることができれば自分は十分」「これが欠けているから自分は不十分」と、今の自分を定義することによって自尊心の指標としているのかもしれません。
心のどこかで自分は不完全であると思い込み、自分を完全なものとしてくれる何かに自分を見出そうとする無意識な衝動によって、本来の自分のものではない価値観で自分が創り出されていることも大いにあり得そうです。
自分によって、他者によって、社会によって『創り出された自分』は、誰しも少なからずあるでしょう。自己意識の中で、どれが創られたものかに気がつくだけで、本来の自分が見えてきます。
自分のアイデンティティと同一視しがちなもの
①役割
社会通念や固定観念などによって期待される役割を知らず知らずのうちに演じ、思考や行動パターンが形づくられ、それが自分のアイデンティティの一部になります。
機能として役割を果たしているだけならOKですが、役割を演じすぎて「自分=役割」となってしまうと、それに囚われてしまい、本来の自分が欲するまま自由に考えたり行動するということができなくなってしまいます。また、相手に対しても、自分の役割に見合った役割を振り当て、その役割を果たすよう期待します。
女性だから、結婚して子どもを産まないと一人前になれない
もう○○歳だし長男だから、夢を諦めて堅実に生きていかないといけない
親だから、子どもが過ちを犯さないようにいつも注意して守ってやらないといけない
医者の家系だから、将来は自分も医者になることが当然と考えている
一人娘だから、親を施設に預けずに自宅で細やかにケアしないといけない
一流企業の上級管理職だから、自分は人より丁重に扱われるべき重要人物である
②モノ
何かを持っているだけで理想の自分に近づける気がしてそれを購入した経験がある方は多いかもしれません。他者の目に映る自分の価値が自尊心と結び付いている場合、身につけているモノ(衣類やアクセサリー)や所有しているモノ(車、家、不動産)のある/なしによって、優越感や劣等感を感じたりします。
モノを持つことや大切にすることが悪いのではなく、それに執着し、獲得しなければならないと強迫観念を感じたり、失いそうになって慌てたり不安になるモノ、破損されて烈火の如く怒るようなモノがある場合には、自分をそのモノと同一化していると考えられます。
③身体
鍛え抜かれた身体、美しい容姿、秀でた身体能力などと自分を同一化している人は、自分の身体が衰えて変化していくと苦しみます。逆に、理想とはほど遠い容姿をしているという自己イメージによって自分のことが好きになれず、人からも愛されないと悲しむ人もいます。拒食症や過食症に苦しむ人は「自分は太っている」「十分ではない」と心が創り出す自己イメージと自分を同一化してしまっていると言われています。身体の病気や障害があり、大きな関心を周囲の人や医師から寄せられることで「不幸な状況に置かれている自分」を自らのアイデンティティに取り込んでしまう人もいます。
④思想・信念
自分は正しい/間違っている、こういった思想もアイデンティティの一部になりがちです。これは許せない、自分は他の人やあの人たちとは違う、あちらの集団はみんな敵、これが大きな集団に発展して人種・民族間や国家間の紛争となっていきます。
④過去の出来事
成功/失敗体験の記憶がポジティブ/ネガティブな自己イメージを作り出すこともあります。過去の出来事による「被害者である自分」で自己意識を強化してしまうこともあります。
他にも、自分の名前、趣味、嗜好、知識、特技、能力、体力などによって得られる自己イメージを投影しようとすることもあります。
日本人は役割と同一化しやすいかも
大学で心理学を専攻していたとき、人の「自己」の認識の仕方が文化によって異なる傾向にあることを知りました。1990年代の研究結果だったと思いますが、集団主義社会といわれる日本を含めアジア、南米、南欧のいくつかの国々では、他者との関係性における自己を、個人主義社会といわれる欧米諸国では、独立した自己を認識する傾向がありました。
たとえば、日本と米国で30代のビジネスマンに「あなたはどんな人ですか?」と尋ねたとします。前者は、所属している会社の役職といった社会や家庭、集団の中の自分の役割(例:長男であり、○○大卒であり、父親であり、○○社の○○職)を通して自己を認識し、後者は、自分の職業、性質や好きな物・行動(例:銀行員、ジャズ音楽が好き、ピアノが趣味、週末はサイクリング)で自己を認識する傾向にあるということです。育った環境にもよりますが、小さい頃から集団の中で輪を乱さないようにと教わる日本と、個性を重んじ常に自分の意見を求められるアメリカとでは、「自己」の解釈や定義は大きく異なっていても不思議ではありません。そういう意味では、日本人は自分が担っている役割が自分のアイデンティティの一部となっていて、それに同一化しやすい傾向がありそうです。
本来の自分の輪郭を浮き上がらせるためには
①自分のラベルをすべて剥がしてみる
名前、年齢、性別、職業、性格、容姿、持病、趣味、嗜好、知識、特技、能力、体力、所有物、将来の夢、過去の出来事、家族構成、配偶者の有無、家庭での役割、出身地、出身校、国籍、人種、宗教、政治的党派、思想など、あらゆる概念で自分を定義できてしまう世界に私たちは生きています。本来の自分がわからなくなるとき、それらに関する思考・感情から切り離して自分を見てみることが大切かもしれません。自分をその枠の中で定義してしまうことは、自分に制限を設けてしまうからです。生真面目で通っている人が、本当はもっと天真爛漫で自由奔放かもしれないのにそれを無意識に抑え込んでいるとしたら、本来の自分は「窮屈でたまらない」そう叫んでいるかもしれません。
②自分は何者でもないことを受け入れてみる
人はなぜ、自分のアイデンティティを別の何かに求めてしまうのか。これがない/あると自分が自分でいられない、自分は十分ではない、自尊心が損なわれる、自分の人生は満たされない。不完全だと思う自分を完全にさせてくれるであろう何かを求める。その根底には、「自分が何者でもない」ということに対する無意識の不安があり、それが自分は他者とは別だという感覚を得ようとするアイデンティティの強化につながるようです。形の上ではともかく、本質的には自分は何者でもないとまずは認めてみることが、本来の自分を見失ってしまうようなアイデンティティの強化をせずに済むのかもしれません。
③何かを通じて「こういう人間になろう」と思わない
この役割を演じている自分、このモノを持っている自分、この思考・感情を抱いている自分と同一化しないためには、それらを通じて「こういう人間になろう」と思わない、努力しないこと。そういう意味では、役割もモノも思考・感情も否定して「ありのままの自然体の私」を見つけようとすることも、自分が創りあげた「自然体の私」という自己イメージと同一化してしまうことにもなりかねません。だから、いっそのこと、何もしない。自分を見つけようとしない、定義しようとしない、自己イメージを確立させようとしない。ただ必要なときに目的意識を持って考え行動し、そのときの状況にベストな自分であろうとする。そして時折、何かによって自分のアイデンティティを無意識に守ろう強化しようとしている自分に気がつくだけで、今ここに在る自分、本来の自分とつながることができるかもしれません。
人は、自分にだけではなく他者にもポジティブネガティブ関係なくラベルを貼りがちです。女性だから男性だから、妻だから夫だから、親だから子どもだから、上司だから部下だから、優れているから劣っているから、性格が明るいから暗いから、持っているから持っていないから。自分だけではなく相手に対しても、ラベルを取り払って人間として見るようにしてみると、より人間らしいつきあいができるかもしれません。自分や相手が役割を果たしていないから十分ではないとか不満を覚えること自体、本来の自分や本来の相手を見ることができなくなっている証なのかもしれません。
この記事は、エックハルト・トール著の『ニュー・アース』から、アイデンティティについて書かれてあることを私なりにまとめてみた内容になります。本来の自分を見つけるための一助としていただけると嬉しいです。
animiscentでは、本来の自分の感覚・感情を呼び覚ますヒーリングも行っています。一度リセットして本来の自分に還ってみることで、今よりも自分に安心感や充足感、幸福感を感じることができるかもしれません。
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